その2!リサイタル(名古屋&大阪公演)から
復活の終わった次の日、ジョエルに合わせに来てもらい、楽器の準備をして、終了。
今回は当日朝に搬出。名古屋(と大阪)は運搬、ステマネ共に名フィルの同僚(と、いつも裏を手伝ってくれる仲間達)にお願いしており、大分楽をさせてもらいました・・・本番楽器を搬出後、サブ楽器にて、ピアニストと合わせをしてから、ホールへ。2台分のピアノの調律をして頂き、東京公演での反省を活かしたGP、本番。
今回もありがたいことに、名古屋公演は、予想を上回るお客様の多さに驚愕!し過ぎて、最初のお辞儀で、頭を椅子に直撃!!「痛ッ」と声が出そうになって、手で押さえたくなるのを必死に堪えながら、準備へ・・
GPでの仲間からのアドバイスを参考に、少し東京公演とはマレットなどの選択は変更し・・・後から振り返れば、名古屋公演は全てがスムーズに進んだ感がありました。
休憩中の場面転換も、スムーズに(裏が東京文化より余裕があったことは大きい)
後半頭のブリテンも、ようやく本番にどうすればマシになるかを体得して、少しですが余裕をもって音替えできたかと。。
バルトークも、午前リハ→GP→本番とのペース配分が皆さん流石で、最後にベストを持ってこれたかと思いました。
アンコールも楽しく、終了!
東京文化でも、多少は感じましたが、ここ、電気文化会館では2013年から3年毎に今回で通算4度目の自主リサイタル。毎回、足を運んでくださるお客様のお陰で成り立っていることを大変ありがたく感じました。当日の模様を、盟友、堀江氏が彼の言葉でまとめてくれているので、(恥ずかしさはありますが)リンクを貼っておきます。
終演後には、今回のスポンサーである葵鐘会さんが主催して下さった打ち上げへ。初めて食べるような極上中華に(特に漢方スープは絶品でした)、翌朝への活力をもらって、解散。
翌朝は僕は楽器と一緒に、共演者は車で現地へ。音を出すのは初めてのザ・フェニックスホール。着いて早々、搬入のトラブルがありましたが(打楽器奏者の宿命)なんとか解決して頂き、
裏方2人とお好み焼き(と焼きそばとタコ焼き)をかっくらってから、GP開始。
昨夜の余韻が、そんなに無いかと思いきや、多少身体に感じていたので、体力を温存気味に。関西の打楽器大御所に楽屋御見舞を頂戴してから、いざ本番。
多少の緊張感を持ちつつも、やはり前半は体感としては20分ほどで終えて(聴いているは50分弱)後半へ。
野田さんのピアノが1楽章で弦が切れるハプニングもありましたが、もうこのアンサンブルで何度も演奏してきた強み(野田さんとは3度目、ジョエルとは5度目?いふけんとは、、何回目だろう)があり、問題なく終了。この演奏会のみ、ホールとの共催。ホールの皆様のお力添えあり、盛況のうちに終えることが出来て、非常に嬉しく思います。ホールの壁を開けて、夜景の元でアンコール。
3公演、無事に演奏を終えたピアニスト2人と、ジョエル(そして竹島さん)に感謝!!
ビルの一角がホールの為、なんとビルの入り口での面会とサイン会という定例の催しだそうで、そこで初めてお会いする方や、わざわざ北海道から来てくれた打楽器奏者も・・そして大学での副科ピアノの先生がいらしてくださり(お会いするのは20歳の時以来なので約20年ぶり)とても嬉しいお言葉をくださりました。そんな先生もBartokがレパートリーだとしって驚愕、3月に滋賀で演奏会されるとのことです(伺う予定でいます♪)
もう一つ、とても嬉しかったことは、
中学時代(というか恐らく全員東田辺小学校出身)の同級生が、何人か声をかけてリサイタルに来てくれたこと!!中学卒業以来、顔を合わしてなかった友人も含め、こんなにも。よくきく「一体、どんな格好していったらええねん?」から始まり、、40歳になる大阪のオッサン達(本人達はそう思ってませんが、周りからみたら・・・)が、集まってくれて、(その日に帰らねばならなかった為、打ち上げに顔を出せたのは、ほんのひと時でしたが)最高の時間でした。また次は25年以内に会えたらいいなあ(違)
名古屋に到着が2時。落ち着いたら3時・・・という、強行スケジュールでしたが、無事に大阪公演まで3公演完遂することが出来て、関係各所に感謝(そして翌日からの業務も、ジョエルとお揃いチェック柄で励みましたとさ・・)
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