これも運命
趣味にタップダンス(こちらは名フィルに入団決まった月から始めたので2010年9月スタート)の他に「献血」と書き始めたのはいつ頃からだったのか、、でもこれも身体と気持ちに余裕が出来てからだったので(フリーの頃は我武者羅だったので・・若手奏者諸君頑張って)名古屋に来てから暫くしてだと思います。まあまあな回数行ってるので、記念品もそこそこ頂いたりしてるのですが、
ある時、終えて帰ろうとすると、声をかけられて、
「よければ(骨髄バンク)ドナー登録をして頂けませんか」と。
以前から、多少の関心はあるものの、なかなか機会がなく、至っていませんでしたが、同意さえすれば、今日の血液の情報から登録し、もし適合者が現れた場合に、お知らせがくるとのこと。説明小冊子を頂いて、まあ気軽に同意、登録したわけです。
それから数年後(恐らく2018-2019年)、忘れた頃に通知が来て、「適合者が現れました、候補者の一人です」とのこと。ここからもまだまだ段階を経ていくので、骨髄移植は先の話。しかし、後から聞いた話だと、この通知が一度も来ないまま、登録を終える方もかなりの数いらっしゃるとのこと。
ただ、この時点では一抹の不安がありました。それは腰痛。この頃は特に酷く、坐骨神経痛と思われる症状に日常的に悩まされており、最初のアンケートにも、それを記入したところ、
残念なことに、候補者から外れる運びとなりました。まあ、それも仕方ないかな、でも、一筋の希望が見えていた方(最終候補になっていないので、本人には知らされていない、とは思います)には申し訳ないなという気持ちを抱きつつ。
その後、僕の腰痛は劇的に改善し(また別のところに書こうかと思いますが、原因の一つにマウスピースがあるかと思っています、歯軋り酷い方にお勧め)、でも、「骨髄バンクではまだ腰痛持ちってことで、候補から外されているかなーどうかなー」と感じて、早数年
今年、また通知が届きました。今回は(今のところ)引っかかる症状もなく、一応元気(※)、日常的に服薬していることもなく、コーディネーターとよばれる方と数度打ち合わせし、近所の大きな病院へ、最初の採血と医師の診察、説明を受けに向かいました。
一つ、あるとすれば、(※)数年前に健康診断で発見された身体の異常でしたが、今回向かう病院で定期的に診察を受けていることもあり、何か問題があればそこで分かるので丁度いいと思い、到着してまずは1時間弱、丁寧な説明を受けます。現在の日本の骨髄バンクのドナーとしての提供は一生涯で最大2回までだそうで。「前のタイミングでも、もし話が進んでいたなら、これが2回目かー」と頭によぎりつつ。次に医師の問診、こちらが提出したアンケートを元に、「あー以前の腰痛は改善されたんですね」「こちらの病院で通院されてたのなら、カルテ確認しますね」と進んでいくと、
以前、最初に病院にかかった時に、僕が飲んでいた薬の自己申告が出てきて、
「あれ?〇〇を飲んでいたって記載ありますけど、こちらは??」と言われ、
「あ、~の為に、〇〇を薬局で購入して飲んでいた時期はあったと思います、医師に処方されたものではない(ので、劇的なものではない認識)ですが」と問答していると、医師の顔色が暗くなり、「この成分が、もし記載通りのものだとすると、(過去に一度でも摂取していると)受け付けられないんですよ、類似の漢方薬などなら大丈夫かもしれませんが、可能性がある限り、許諾できません」と。。
僕は、「いや、まさか・・・もしかしたら僕の勘違いで、漢方の類かもしれません・・・あ、恐らくまだ残りが家にあった気がするので、ちょっと瓶を探してもらいます」と、家族に探してもらって、その成分を写真で送ってもらったところ、
完全にアウトの成分・・・青天の霹靂。僕としても、ほぼ忘れていたことで、茫然自失気味に「え、今回はこれで終了というより、もう資格がないってことですか?」となると、「はい、残念ながら、今の規則では・・窪田さんがボランティアの精神でこの活動に協力してくださったことは大変ありがたいのですが云々~」と言われてるのも少し上の空で、突然打ち切られたテンションのまま大学のレッスンへ(レッスンでは上の空にならぬよう努めたつもり)
「もしかして、献血についても、問題があったのでは」と、その日すぐに調べましたが、そちらの禁忌にはひっかからず。ドナー登録が、こんな形で終わりがくるとは思っていなかったのですが、規則なので仕方ない(将来的に変わるかもしれませんが、55歳がリミットなので、あと十数年)そして、今回も引き受けられずに、2024年が終わろうとしています。重ね重ね、申し訳ない気持ちもありますが、これも運命かと。
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