堀江裕介氏
月初めの頃の感覚に戻れないで生きている。堀江さんのせいである。
1月の市民名曲、アンサンブルコンテストの審査員やら、2月頭の豊田市での演奏会を終えて、スケジュール通り、東京での演奏に向かってリハをしていた(&空き時間に恩師の米寿のお祝いに伺ったりしていた)矢先、名古屋から届いた突然の訃報。
自宅にて、くも膜下出血で…享年45歳とのこと。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を、というところまで聞いて、暫し茫然、、
翌日から、面識のある知人(たまたまオケ中に何人もいたり)直接面識がない人にも話題としては出すものの、事の大きさが現実味を帯び切らないまま、また名古屋に戻ってきて、淡々と日常を過ごしている。
FBの投稿に、訃報を聞いた晩、心情や繋がりを衝動的に吐露したが、このブログを遡ると、うろ覚えだった詳細を思い出してきた。彼は僕が入団する前から名フィルにサックス奏者として客演が長く、恐らく2012年の飯田のGWクリニックで仲良くさせてもらったと思う。最初にデュオを共演したのは13年の2月(わび助にて。そこから本番をサロンコンサート、飯田としていったらしい)その辺りから個人的な付き合いも始まって、(互いの結婚式にも出たし)SaxアンサンブルDellaや、GAJA Windにも参加することとなり、所属されているArion Sax Quartettの皆さんとも繋がることとなった。東海地域の狭い業界、指導先も多数重なり、尾鷲から一緒に帰ってきたこともあったような。飯田にはしょっちゅう一緒に向かって、2人きりで色んな話をしたし、何度焼肉にも行っただろうか。彼はいつも生徒に囲まれていて、アマチュアの人も含めたサックスの飲み会に打楽器の僕だけ参加させてもらって・・みたいなことも一度や二度ではなく。彼が毎日つけていたブログにも登場しているかもしれないが、彼が飯田のクリニックを休んだ時は「なにわ~」に参加した年(その時の様子を名音大のクラリネット橋本さんが記されている)僕と重なっていない年だったけど、その影響が大きくGAJAを立ち上げたとのこと。
僕が語るまでもないが、堀江さんは明和高校の専任教諭をしながら、様々な活動をされていた。20年以上勤めていた学校の教え子は軽く見積もっても1,000人はいるだろうし、それ以外(飯田の吹奏楽クリニックだって、毎年10人だとしても100人以上)、東海地域でのサックス業界どころか、彼の訃報を知って、須川さん、作曲家の伊藤康英先生や、その他多くの都内の音楽家からも思い出を語る投稿が相次いだ。彼との早すぎる別れに、誰もが胸を痛め、特に遺されたご家族の事を思うと、僕の胸が締め付けられる。
数日前、共通の知人から、「会って、ウチで、献杯しませんか」と誘ってもらい、仕事終わり夜分に友人宅にて、献杯後、思い出を語りあって(彼の出演した映像を、部屋を暗くして観ていたら、僕が来ても鳴かなかった犬が、突如吠えた場面があり、数分してから、彼がいるのかなーと話題に)、少しだけ整理された気にはなったが
心の穴の大きさは、さほど変わらず。今週末の定期と、来週頭の東京公演で「悲劇的」を演奏するのは、なかなか堪えるものがある。しかも東京公演の場所は、堀江さんが名フィルと協奏曲を演奏した東京オペラシティ。
マーラーを演奏していても、3音のフレーズが出てくる度に「ほーりえー」と口ずさみたくなるよ。勘弁してよ、堀江さん。
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