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2020年5月

2020年5月29日 (金)

耐える、凌ぐ

 1ヶ月弱、blogstayしたままでした・・五月も終わってしまいますね。タラレバは無いのを招致で・・・コロナ以前の生活が続いていたならば、例年と同じく5月は飯田での音楽祭で始まり、翌週は、三味線の本條さんを迎えての定期、合間にはパーカッションフェスティバルで、ストラスブールパーカッションの新作なども聴いて、GAJA Windで宮田君のチェロ&バーンズの3番。今日は、豊田でアンダーソン特集の本番だったようです。はあ・・それと同じだけの時間を経て、得た物・・・あるかな。。自分に課した宿題は5月中に終わらせることができるのか(残り1/9、しかし大曲なんで)

 

Photo_20200529233901 大学のレッスンはオンラインで開始(ほぼ同じ時期に高校も開始)アンサンブルの授業も、なんとオンラインで・・・すが、こちらは事前に学生達が自宅で演奏したものを動画編集したものを。なかなかシュールで課題も多かったけど、突き詰めていけば1つの作品になりそうでした。今週からは対面レッスンも再開。打楽器はいつの時代も練習場所から困るので・・・

 

 趣味のタップダンスも休業中・・・夜のウォーキングを半分くらいの割合でランニングに変えたところ、体重が2kgほど減量!外に出る前の腕立て、腹筋&背筋が効いてると信じて(^^;)

 

 インプットは充実してました。インターネットで世界の裏側から発信されている過去の映像や、テレビでも刺激になる演奏が一杯。東京JAZZ2019も5時間に渡って放送されてましたね、いつの間にか会場が国際フォーラムからNHKホールになっていた。。久しぶりに過去のDVDも引っ張り出して、Steve GaddDave Wecklも見たら、ドラムも練習したくなっちゃったりして、、時間に余裕があることの幸せは感じますがね。ドキュメンタリーや、映画(ほぼ2日に1本ペース)も沢山見てるなあ。オンライン会議の他、オンライン飲み会も結構やりました。世界のどこにいても繋がれるのは面白い!

 

 本業(オーケストラ)は、再開のメドまで厳しい道のり。会議だけはオンラインやら、対面やらで続けてきましたが、政府のイベントに対する指針がようやく発表され、オーケストラも適用されるであろう、ガイドラインはこちら。ようするに、来月10日の、「屋内イベントは、5000人までの集客可」という状況になっても、もう1つの人数制限「席数の50%以内」の縛りが有効なので、1800人収容可のホールでも、最大900名までしかお客さんが入れません。

 現在の名フィルが、「何故、定期を2日開催するか」という1つの大きな理由に「定期会員の方の数が多く、1日だとその方々で席が埋まってしまうから」が、あります。要するに、このままの状態で演奏を再開すると、理論上、定期会員の方しか演奏会に来れなくなってしまうことになってしまう(現在の防御策しかとれない日常に、どれだけの方がホールに足を運んでくださるか判りませんが)既に、当日販売チケット無しのアナウンスをしているオケもあるようです。

 

 団外秘の事もあるので、7月以降も公式発表されれば、こちらやHP(お陰で全然更新できないyo)にお知らせしますが、なかなかコロナ以前と同じ活動は前途多難な模様。なんといっても百年に一度の危機、前回のパンデミック(スペイン風邪)を乗り越えている「オーケストラ」という業態は、我が国にはほぼ無いに等しいですから(東フィルさんの前身のみ)淘汰されない為の知恵を、世界各国からの情報にアンテナを張りつつ、皆で出さなければいけないのです。応援して下さる方々の為にも。

 

 そして・・・ようやく、こちらの宣伝が出来る日が近々やってきそうです。もうすぐ、実物が手元に来ーーるーー
 ダンボが運ばれてくる母象の気分??

 

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2020年5月 2日 (土)

The Entertainer

 5月に入ってしまいました。どうやら緊急事態宣言は解除されなさそうで、オーケストラの公演は5月中も無し。どこまで伸びるかな~と伸ばし続けていた髭も、不潔感が増してきたので(笑)皐月を区切りにカット!しかしレッスンも高校はなく、大学はどうなることやら。

もう「自宅待機」にも慣れたもので?気付けば丸2ヶ月、そういう意味では3ヶ月目に突入することには特に変化はないけど、油断大敵・・・人と接しなくとも、身体と頭が鈍らないように!最近は夜にウォーキングもしています。

Dsc_0357  数日前、ようやく届いた本がこちら。本当は、あの人が主演で映画化が決まっていた原作。本の内容は、別でまた語りたいくらい、良かった!!

 

 僕は、幼少期から、気がつけば人を笑わせることが好きで、小学校高学年から人前でコントもやっていたし(その頃は嘉門達夫が全盛期)、高校では先輩と漫才もやったなあ。最近は、そこまで手が回って?ないけど(最後にやったのは2013年、先輩と職場の送別会で・・)

 それが興じてか、こんなこと位はやらないと気が済まない?性格になってしまったのですが、間違いなく、原体験の1つは彼のテレビだった。

 

 忘れもしない、小学2年生の時。当時、クラスでは、ウッチャンナンチャンが人気で、土曜の夜にやっていたテレビが、月曜日になると話題であった。

「ねえねえ、土曜の『やるならやらねば』見た?あのキャラの○○がさー・・」と話題を振られるも、こちらは「何、それ?」

何故なら、ウチは裏番組の「カトちゃんケンちゃん『ごきげんテレビ』」派だったから!

親父がゲーム好きだったこともあり、家にはマイナーなゲーム機PCエンジンがあり、その中でもやりこんでいたのが、こちら。アホくさいんだけどね、面白かったなー、そして意外と難しい。

 

 その後も「だいじょぶだあ」はずーっと見てたし(追悼番組では、マーシーのせいで、面白いコントは放送されなかったんだろうなあ)、たまにやるドリフもほぼ毎回見て(高木ブーは、あんなに生卵飲んで、早死にするんだろうなあ・・とずっと思ってたけど・・御年87歳・・)バカ殿は勿論のこと。

 成人してからも、深夜枠で、たまにテレビをつけてやってると、「昔と変わらないことやってるなあ・・」と思わず見ちゃったり。印象深かったのは、10年くらい前の正月のお笑いドリームマッチ。確か、さまぁーずの三村とコンビで、持ちネタをやったんだけど、流石のコントで優勝してました。Blogでは、1日に何本も観た映画の感想を書いてたり(だから今回、主演予定の映画だったのか、と・・)

 

 Dsc_0332 勿論、 この本が出た時も、すぐに買ったし、2も実家のどこかに転がってるはず。素顔は静かな人なんだなあ、ということは、色々読んで知ってましたが、


 実は、握手をしてもらったことがあるんです。

 のだめ関係でお台場で収録があった際、かなりの待ち時間で、局内でトイレに向かった時、こちらは用を済まして出てきたら、数m先から、マネージャーと一緒に歩いてくる姿が・・・

 すれ違ってから、目で追うと、マネージャーと別れて一人で先ほどのトイレへ・・

迷いつつも、僕もそしらぬ顔をしてもう一度、トイレへ。用もないのに用を足したふりをしていると、向こうは先に用を済まして、外へ。しかし、その時!

 

けんさん、手を洗っていなかったのよね・・・

 

 その事実を知りつつも、「でも、こんな機会もう無いかも・・」という気持ちが勝って、急いで後を追って出て、「『カトちゃんケンちゃん』の頃から見てました!」とか、「本も2まで持ってます!」とか色々言いたいことは全く言えずに、「スミマセン、昔からファンだったので、握手してもらえませんか?」とだけ言ったところ、

 

「・・・ハイ。」

と、本当に小さい声で言われて手を出してくれました。

 こうやって、今、振り返ってると、「もしかして、ずっと手を洗うクセが(最近も)無かったのかな」とかも考えてしまうけど。

 今年は聖火ランナーや、主演映画もあったなんて、悲しい限り。ご冥福をお祈りしつつ、同じ名前を持つものとして?(ドリフターズ入る前の芸名は、志村健で、中国語圏では今もこの表記だとか)受け継いでいきます。今月も根を太くする月間かあああ。

 

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