春の祭典
お正月に関西に向かった際、この方のお宅にも初詣?に行ってきました。
僕が最初に師事した先生は「ティンパニをやりたければ彼(↑)の門を叩け」という人だった為、名フィルと接点がない時期から名前だけは知っていたのですが(その後、業界で様々な伝説は拝見)、気付けば先輩と後輩というご縁になり、僕の入団後、色々気にもかけてくださって、それ以降たまにお顔を拝見しに伺います。
色々なエピソードを伺う中に、今回の定期の演目の話も。
先輩に「空前絶後の奏者になりなさい」と有難い言葉を頂いた際に、こちらが脳裏に浮かんでしまう辺りが、心が汚れている証拠かと・・
1月の定期は、今年度のプログラムが決まった時から、自分の中のハイライトの演目でした。ストラヴィンスキー作曲「春の祭典」ほか。
左に写っているスコアを買ったのは、大学に入って間も無い頃。1年時に履修していた「副科指揮法」の授業(教職課程に必須)で、「春の祭典」という、なんだかオメデタイ名前の曲を毎年とりあげるとの事で。恐らく人生で初めてオケの総譜というものを、今は無き「大関(当時はキャッスルの隣)」で買ったんだなあ。開けてビックリ、不協和音&変拍子の嵐。
その「春の祭典」を初めて演奏したのは大学3年生の秋。当時、東京文化会館で三善晃さんが館長、「音大オケの祭典」というような名前で、毎晩2つの大学のオケが、それぞれ、もしくは合同などの演目をやる催しをやっていた際、芸大×桐朋の年になり、当初お互いのオケが「幻想交響曲」を候補にしていたようで、芸大側が「ではウチは『ハルサイ』で!」となった話(芸大の指揮はコバケン教授、どちらも持ち曲)を聞いた憶えがあります。コンマスは現読響コンマスの幸太さん、僕は2nd timpani。その後、日本フィルのヨーロッパ公演に連れて行って頂いた時も同じ指揮者で、シンバルを担当、それ以来の今回だったので、僕は未だ「小○」という苗字の指揮者としか共演していません(^^;)
学生の頃から、人の演奏はかなりの回数、耳にしてきたこの曲(都内はおろか、名古屋に来てからも、イスラエル・フィル、ベルリン・フィル・・)&今回、初1st timpaniということで気合を入れて臨みました。というより、オケ全体が、かなりの気合いの入りっぷりだったと思います。僕が入団する直前にやって以来、9年ぶりだったとか。この映像も面白かったです。これも伝説の演奏、日本フィル×マルケヴィッチの東京文化会館公演。お客さんは本当に満席という感じ。
1st timpaniは今は亡き山口浩一氏(前述の十郎さんとは、血縁ではありません)僕がお世話になっていた頃より、眼光が鋭い・・今の僕と同い年くらいだろうか。
各オケ、色々な方法でやってましたが(2nd timpaniの分まで1stが演奏することも多々あり)今回は同僚のJoelを信頼して、わざと分担するところも増やしたりしながら、ベストを尽くしました。ここ数日、風邪気味でしたが、ドーピングで乗り切った。。終わったら、風邪も治って、タップダンスにまで行ける元気が(笑)
本番中、「この曲は、元々『バレエ音楽』として作曲され、本来はオーケストラは舞台で演奏せず、バレエがメインだったはず。なのに、今やバレエ上演よりも遥かに多く、オケ公演がされていて、それを聴きにお客さんが集まってくる不思議」を感じながら、この音楽に作曲家が込めた響きに、目を閉じてました(打楽器が登場する場面、始まって暫く無い)
少し残念、だった事は、お客様の入りが今ひとつだったこと。土曜日の今日の方が若干多かったですが(そして芸文より市民会館の方が客席数が多い)、前回のオペラ「薔薇の騎士」もそうだったようですが、都内では「大人気!」「完売!」などになる演目が、「それほど・・」だったりするんですよね。。地域性なのか、自分の胸に手を当てて聞いてみるべきか・・3月には、←の公演もあるようですが、どうなるのか・・こちらが、早々完売とかなら、泣けちゃうな(泣いてる場合ではないか)
数はさておき、聴きにいらして頂いた方々からは、概ね好評を頂いているそうで(今の全精力は出し切っていたはず)無事終えられてホッとしています。市長はじめ、直接感想を頂いた方もいらして、感謝感謝です。あ、前プロの序曲「海賊」は初体験(ベルリオーズっぽくて、面白かった)久々のグリーグのPf協奏曲も、暗譜の音楽監督には脱帽。
来週は学生達の試験週間、僕は春に向けて個人練習を始めねば。。
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