当日、晴天。寝不足ということなく、まずはオケの練習場へ。数多ある用事を済まして、忘れ物無いか確認して(あったんですがね(笑))、少し遅れてホールに着くと、お手伝いの皆が楽器を下ろし始めてくれて、て、会場入り。とりあえず降ろした楽器&スタンドを組み立て、舞台へ・・
リサイタル、来て頂いた方は分かると思いますが、セッティングの一つ一つが、演奏では、命取り。
細かいところまで、マネージャー(名古屋公演は、プロのステマネ2人が、舞台に上がってくれて、ノンストレスで本番を迎えられました)が配慮・・の画像。
電気文化会館は、何度も訪れていますが、舞台に上がるのは初。音の響き方を気にしつつ、楽器の配置をチェック。東京のことも頭に入れて、楽器の画像を取る紗央嬢。

前半最後のエクローグ、照明もスタッフさんが考慮してくれて感謝。
後半のGP,マルチパーカッションの曲は、セッティングのチェックも兼ねてるので、あまり省略してリハすることが出来ず(僕はね)、結局、全部ほぼ、フルパワーで通してしまうことに・・というより、マルチに限らず、全部やってたけどね・・
あ、背後霊ならぬ背後ステマネ・・
GP最後に、名古屋在住の作曲者、あをいさんに、UTAをチェックしてもらい終わったら、開場30分前を切ってる・・アワアワしていると、ステマネから「少し休みなさい」の指示が出て、休憩している間に、スタッフがセッティングを最初の位置に。
開場。当初の予想だと、7割のお客さまに来ていただければ御の字の予定だったのですが。開演5分前になったら、ステマネから「まだ、ロビーにお客さんが溢れているから5分押しで」の指示。何の間違いやら、お客さんがまだまだ入ってくる・・
えーっと、夢かしら?
しかし、プログラムの都合上(後述)、なにがなんでも5分押しでは始めたかったので、19時5分、開演。
あまりの人の多さに、暫し頭を上げられませんでした。
中国の生まれではございませんが(笑)
2曲目を開始する前、多数のお客さんがまだ入ってくるのを背中で感じ、暫し時間を取ってから開始。
お客様にに背を向けていることが多く、申し訳ない・・
世に「マリンビスト」と呼ばれる人が大勢いらっしゃるなか、僕が弾く、意味を自問自答しながらの演奏、楽器に大いに助けられました。
途中の楽章間で、腕まくりをしたのは、楽譜に書いてあるわけでは、ございません(^^;)単純にスティックが引っ掛かるのよね・・
立つ時に、ピアノ椅子(忘れたので借り物)は「ぎー」ってなるわ、紐がうまいこと取れないわで、少し太鼓が縦を向きすぎています(爆)
前半、最後。同じ「赤」系の衣装でも、対照的な色で。
お陰様で、好評でした。
後半、始まりの時点で20時25分。うーん、皆頑張ろう(笑)小太鼓から。Youtubeにどちらの公演をupするか・・年内には決めます、一長一短だったかな、、
nemeton、曲中にただ一度だけ、出てくるサンドペーパーを擦る瞬間!ずっと撮影してくれた平野さん(本職は、運搬業です・・)に脱帽。
「もう、目が点になりそうやわー」の顔。
手で直接の演奏も、今回のプログラムでは多用しました。ハードなマレットにも耐えてくれた、愛器コオロギ社のラ・ビュー。
名フィルに入団したてのころ、一時期はまったジャグリング(ほぼ三日坊主でした)が、少しは役にたったかと・・
プログラムを決定した当初から、「2時間でギリギリ終わるかな・・」ということは、分かっていた為(前述)、どうすれば、最後の曲まで、お客さまに楽しんで頂けるかを、考えた末の苦肉の策でした。心優しいお客さまは、2時間越えて終わっても、アンコールを期待して、拍手をくださると思いました、が、「2時間越えて、まだやるのかよー、早く終わらないかな、そわそわ・・」という感情になる方が出るのを、少しでも避けたかったので、お話しました。
その甲斐あってか、GP中は鳴っていた空調の音も無くなり、会場全体が何とも言えない静けさの中、最後のUTAを演奏することが出来ました。
作曲者のあをいさんと。不思議なご縁です。僕が初めて、あをいさんの曲「UTAⅣ」を演奏したのは、学部4年の学内演奏会。奏楽堂という立派なホールでソロでマリンバを弾いている時に、マレットを落としかける寸前になるほど、緊張していました。
「ああ、人前で、マリンバを弾くのは、これを最後にしようか」
と、演奏しながら思ったのを、今でもよく思い出します。
そんな人間が、数年経って、リサイタルの最後にマリンバ弾いてるんですから。少しは努力が報われたかな。
「長時間、ごめんなさい」の図(嘘)
暖かな、大きな拍手、有難うございました。
そして、一週間後。東京文化会館へ。
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