PMFでの思い出、その1
今週末の定期、頭に演奏する「シンフォニック・ダンス」これはバーンスタイン作曲のミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」から抜粋して、メドレーにしてあります。
ブログの左下に写真のアルバムとして載っけてますが、PMFという音楽祭に、2004年に参加しました。大学三年から四年に上がる3月、アメリカへ10日間レッスン受けたり、友達に会ったりしに行く前日のオーディション。高円寺にあるPPの大部屋で。今でもよく覚えています。
世界中でオーディションが行われ、倍率も高いので有名・・勿論、受かるつもりで受けますが、その数年、打楽器で日本人の合格者は出ていなかったので、まあダメ元で。次の日からアメリカで会った友人はアメリカで既にオーディション受け終わっており、「まあー無理っしょー」とナイアガラの滝に連れていってもらい、カジノやらで遊び呆けて(嘘、ちゃんとレッスンも受けたりしてました、ほんとに)帰国して、数週間、忘れた頃に電話が。
「窪田さんですか?おめでとうございます」という知らせ。大学の皆も喜んでくれたけど(しかも先輩も同時合格)、アメリカの友人に連絡すべきか・・と思ってたら、
「あ、俺も受かった」とあっさり言われ(その年は打楽器7人中、日本人3人、アメリカ人3人、アメリカ系台湾人1人)幸い、皆で7月から1ヶ月北海道へ・・・
この話、語り出すと、まあ止まらないんですが(ということで、次回に備えて「その1」としておきます)今回は、バーンスタインと、シンフォニック・ダンスについて。
バーンスタインが創設した音楽祭、この最初のスピーチを聴くだけでも、胸にこみあげるものがあります(この数ヵ月後に他界)。
ほぼ、毎年、バーンスタインの作曲した曲を演奏していますが、今回演奏する「シンフォニック・ダンス」は2004年のPMFオーケストラでは演奏せず(その年はハリルとディベルティメントを演奏)ホスト・オーケストラである、札幌交響楽団が、演奏するのを、芝生に寝っころがりながら聴きました。その後も他のオケ(読響2回?、京響)で聴いたり、エキストラ奏者として、演奏させてもらったこと(神奈川フィル・N響)もしばしば。ただ、エキストラ奏者では、なかなか演奏する機会がないパートがDrum Set(万一トラで呼ばれる人は、大抵ドラム屋さんと呼ばれる専門職の方)、
思い返してみると、クラリネットオーケストラで、それっぽいことはやったことがありましたが、フルオーケストラでは初。緊張と楽しみと。
それまで、オーケストラに対しての「なんとなく」の思いが、PMFに参加出来たお陰で、「絶対・・」に変わった、僕の中で一つのターニングポイントでした。特別な思いのある曲を、所属しているオケで演奏出来る幸せを感じつつ、本番に臨みます。
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